京でバイク 比叡山でヒエー! 2


一日目は奈良は
法隆寺でザクっと過ごして

二日目は京都巡り!!

さて

目指すは崇徳御廟
”あの”崇徳天皇ゆかりの場所
朝は、9時手前位から出発!そして一つ目崇徳御廟へ
ついてみるとそこは噂通り、祇園のはずれにぽつんとある
一見すると、神社なのか何なのか分からない場所だった

これがあの
日本最強の怨霊と恐れられた天皇の
”京都での”御廟だとは。。。

崇徳天皇御廟は思いのほかに質素だった、
本当に最近になって、整理しましたというような作りで、
小さな祠のような賽銭をいれる場所
正門そして、奥には木があるだけの神社でもない、寺でもない、
一見すると、地元の人の信仰がある程度の場所にしか見えない。

これが・・・これが・・・
最強とまで謳われた怨霊の御廟かと
賞味複雑な気分になった

でも、逆にそれがイイのかもしれない
崇徳天皇は自分が怨霊扱いされることなぞ
これっぽちも思っていないはずだ。

竹田恒泰氏いわく
怨霊は、呪う人と、それを信じる人がいて初めて成立する
つまりは、信じる人がいなければ崇徳天皇も怨霊ではなかった

讃岐で生きたまま天狗となり、憤死し(怒りのあまり死んでしまう事)、天下滅亡を誓ったと云われる崇徳天皇。でも経緯を見れば、不幸な人だった、ただそれだけに思えてならない。崇徳天皇は日本を呪ってなんかいやしない、まぁそんな事を回想しながら、ここは・・・

知る人ぞ知る崇徳天皇ゆかりの場所

それでいいではないか、それ以上何の意味がある?
最後はそう結論付けた

また来よう

崇徳天皇は今もこうして生きている

そこから、京都の街を南下
前回京都でお世話になった宿の目の前の
三十三間堂に到着。早速拝観と洒落込もうとおもったら、
なんと、警備員さんが「一時間でww」って!まじで!一時間で巡れと!
急いで巡りましたが、いやーーー

三十三間堂、素晴らしく長い!

三十三間とは、柱の”あいだ”の数の事
それだけ長いって話
そして運がいい事にお坊さんが読経をされていて
雰囲気的には抜群でしたね~~
お気に入りは・・・

婆藪(ばす)仙人!
この人絶対マッドサイエンティストでしょ!

絶対マユリ様だよ・・・
それにしても、どの立像も、目に光沢がありが生き生きしている。話しによると、三十三間堂の逸話、自分に似た顔の像が一体あるって話
本当の内容は少し違うそうだ。

自分に似た顔があるのではなく
自分を救ってくれる人の顔がある

だそうだ
兄弟、姉妹、両親、親友、恋人、妻・・・
自分にとって大切な人の顔があるんだとか
そもそもこの話どこから伝わったのかな?

それにしても午前中だというのに、中はかなりの人盛りで苦労した。
じっくり回って約1時間ほど。

そこから、京都の北西にある北野天満宮へ。
北野天満宮は、菅原道真公をお祭りする神社、学問の神と呼ばれるが実はこの

菅原道真公も
怨霊になったとされる人物の一人だ

文人貴族であった道真公は宇多天皇の元、なんと右大臣にまで上り詰めた、当時では貴族が右大臣になるという事はあり得ない異例だった。醍醐天皇が践祚すると、それも道真公が支えた。するとそれを妬みに思ったのが藤原時平と三善清行、道真公が謀反を企てていると醍醐天皇に讒言(ざんげん=うその報告をする)これを真に受けた醍醐天皇は、道真公を左遷してしまう。

道真公は大宰府の地で903年に憤死した。道真公が没すると、京都には厄災が現れる、908年に時平が39歳の若さで病死、左遷に加担した源光は913年鷹狩の最中に泥沼にはまって死亡、遺体も上がっていない。他にも天皇周辺の人間が次々と若くして死んでゆく。

930年清涼殿(当時の天皇が日常を過ごす場所)に雷が落ち、道真公左遷に関与した5人が即死し黒こげになるという大惨事が起きる。日本略記にも詳細が乗せられている。この事で醍醐天皇は体調を崩し同年崩御となる。

これらは道真公の怨霊の仕業だという噂が広まった、同時期に起こった平将門の乱も道真公の怨霊が関与しているとされた。10年ほどすると託宣、つまりお告げの様なものがあり、これを機に947年に現在の北野天満宮が設営される。祟りの噂があったためか壮大な社殿に作られる。

それは本殿の細かい細工を見れば一目瞭然だ。
まるで、あの日光東照宮をほうふつとさせる緻密な仕上がり。いや実に見事である。

それにしても、この神社、とにかく狛犬が多い、道真公の祟りを恐れるためか、それとも道真公がイヌ好きだったのか?
正門の狛犬は

超デカい

多分靖国神社の狛犬に匹敵する大きさ恐らく全国随一の大きさだと思われる。雑感だが全長は1.5m以上はあると思う。

面白いポイントに、本殿近くにある休憩所の天井に巨大な絵馬?が飾られているのだが、これも実に見事。ほとんどの人はあまり上を向かないせいか気づいてはいないのだが。

 

北野天満宮をひとしきり観終わると、昼手前の11時ごろ、その日のうちに東京まで帰るので余り長居は出来ない、残り巡る場所は・・・

比叡山延暦寺!

延暦寺までは京都市内から、およそ30分程度、比叡山の頂上近くにあるので、道すがら琵琶湖を一望できる絶景ポイントがいくつかある。
因みにこの比叡山ドライブウェーは有料、バイクでも1200円ほど取られるので油断されるぬよう。

延暦寺は788年に平安のエリート僧、最澄が一乗止観院という小さいお堂を建てたのが始まりとされている。現在はユネスコの世界遺産にも登録されているお寺だ。平安仏教の中心的な場所で、密教、禅など様々な教えがあり仏教の大学の様な場所だったそうだ。

一時期は武装化をし、強大な権力を持っていた白河天皇ですら恐れていた。あまりにも強大化しすぎたせいで独立国家の様な振る舞いさえあったとされている。1435年足利義教は比叡山と対立し、謀略により延暦寺の有力者を斬首、これに反発した僧たちは根本中道の中に立てこもりそこで焼身自殺をする。このとき根本中道も焼け落ちる。義教は同年に根本中道再建を命じている。

1499年に再び焼失。1571年延暦寺の強大な武力が戦国統一の妨げになると考えた織田信長は延暦寺に武装解除を呼びかけたが、これを断固拒否した延暦寺を9/12(9/30)に焼き討ちする。

これがかの有名な

織田信長の比叡山焼き討ちである。

後の考古学調査では、焼き討ちにあったのは根本中道と大講堂だけで大規模な虐殺があったとするのは誇張なのではないかと指摘もある。

境内は、杉の木が立ち並び、過去そんな大事があったことを思わせる場所はほとんどない。平穏で静けさがあり、最澄がなぜ比叡山に庵を開いたか、何となくわかる気がした。
何度も焼き落ちた根本中道だが再建され現在も拝観することが出来る。この根本中道は他の仏閣とは一線を異なる作りになっている。

まず、本尊は床下数メートル(解説では3メートルだったかと記憶してる)ほど低い位置に配置されているが、このことで独特の空間を作り出している。柱もかなり大きい、長さは20メートル?近いだろうか?天井の宝相華の絵は一辺が1メートル四方なのだが、その大きさが30センチ程度に見えるほど天井が高い。

強いて言うなら
ロードオブザリングのモリア坑道

見事な設計だ。
ちょうど本尊の胸から頭辺りを拝むような高さでお祈りを出来る構造になっている。

お坊さんの話では、このお堂は二度と建てられません、なぜなら単純にこの柱と同じ木材が手に入らないからです。これはケヤキの木の柱なのですが、現在日本のケヤキはほとんどが伐採されてしまい、残っていません。

これは有名な話だ
切るだけ切って、育ててこなかった

だから貴重な木材は現在は、台湾や韓国に行かないと手に入らない。
ましてや、暴れぎとされるケヤキ、まっすぐに育つ方が珍しい。
そういった意味でも非常に珍しい建築である。

他にもいくつかのお堂がある、それぞれを事細かに紹介したいがなにせ数が数だけに、全部を網羅するのはなかなか難しい。

まるでお堂のディズニーランドだ

 

と、ここまではよかったのだが・・・
ふと空を見上げると・・・風で杉の木が揺れていた・・

あ~なんて、いい風だ・・・・

ちょっと待て
ナンダあの杉の木から散布されている
黄色いのは!!

うわ・・・・・

実は比叡山に入ったまではよかったが、お堂を拝観している途中から目が尋常じゃなく痒く、鼻水が止まらなくなっていた・・・

ひえーーー!
まさかコイツら!!!

通りで泣いている人が多いわけだ・・

最初はてっきり
お坊さんの話がスゴかったから泣いてるとばっかり思っていたが・・・・

これはヤバい・・・
ここにいたら

比叡山にいたら花粉に殺される!!!

織田信長も比叡山の
この”粉”がうっとうしくて焼いたんじゃないの?
ちょうどお堂を一巡りすると午後3時手前

とにかく逃げよう・・・
比叡山から逃げよう!!
ずらかれーーー!

 

という事で、京都めぐりを終えて、東京へ
しかも今回は、諏訪経由で東京まで帰ってみた

意外にいいかも
道もすいてるし、なにせ調布インターまで一本だし

 

という事で!今回は1129キロ走破!
トータル

1182 / 10000 キロ

なかなか順調

4月と5月はGWあたりに
1000キロほど走破したいものだ!


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