今日のバイク 上田城攻略!



真田の居城といえば?
そう上田城!

という事で、7月の頭にちょっくら上田城に行ってきた。
我が故郷、長野市からはおおよそ30キロほど。
東京で例えるなら、新宿から八王子くらいの距離。
比較的近所だ。

長野市内からはもちろん。群馬や栃木、東京からも
比較的アクセスしやすい。

なので、土日の上田城は

関東圏から集まった大勢の
真田丸ファンでごった返していた

ツアーバスなんかも企画されてて、
こりゃ今年一年は真田熱は冷めそうもないね!

上田城に併設されている上田市立博物館では
真田特別展と題して真田氏ゆかりの品が展示されている。

例えば、よく教科書でみる真田信繁(幸村)の肖像画
他にも兄ちゃんやオトタンの肖像画も!

そして!なんと!

真田唱幸が着用した
本物の鎧も展示されている!
(゚∀゚)

これはファンなら一度は見ておかないと!

博物館は撮影禁止のため
写真が撮れなかったのが残念!!

ちなみに、鎧は結構小さいのよ。
タブン身長155cm前後の人用かな??
やっぱ昔の人は小さかったんですねぇ~~

残念ながら博物館は撮影禁止だったので
何も撮れなかった。

長野の史跡博物館は撮らせてくれたんだけどなぁ~~・・・
(´・ω・`)

 

さてはて、ドラマはおよそ半分を越え
秀吉のシリーズがソロソロおわりそうな
大河ドラマ真田丸。

秀吉が死に
関ケ原の戦いへと時代が移る。

関ケ原と言えば!
徳川率いる東軍vs石田光成率いる西軍!

天下分け目の合戦!

その関ケ原の戦いは
関ケ原だけが戦場ではなかった

この上田城でも徳川軍(東軍方)vs真田昌幸、信繁親子(西軍)の
宿命の戦いが起こっていた!

第二次上田合戦

秀吉死後、豊臣家臣たちの内部分裂が急速に表面化し
石田光成暗殺未遂事件、徳川家康の上杉討伐と
世は混迷を極めていく。

真田親子は選択を迫られる。
石田光成の西軍につくか?
はたまた徳川家康方の東軍か?

出した答えは、兄信之は東軍、父、次男信繁は西軍。

どちらが勝っても真田は残る。
戦国を生き抜いた親子の知恵がうかがえる。

そして、昌幸、信繁は

徳川秀忠率いる3万5千の軍勢と
上田で激突する

対する

真田方の手勢はたったの2千

実に10倍近くの敵に対し、昌幸のとった作戦は
上田城、城下町を含めた籠城、ゲリラ戦だった。

徳川軍をわざと城に誘い込むため、
昌幸自身が躍りを舞い徳川軍を挑発、
ギリギリまで敵をひきつける。

そして敵兵が城に攻めかかろうとした、
そのタイミングを見計らって一斉に攻撃を仕掛ける。

さらには、せき止めていた川の水を放流。
大混乱に陥った徳川軍は逃げるが精一杯だった・・・

そう、たった2千の兵で
3万5千の軍勢を追い払ったのだ

この大勝利の裏には、実は上田の民衆の力が関わっていた。

昌幸は、不作で困窮する民衆のために
減税措置をしたり、土地の与えたり
上田城に民衆を招き祝宴を開いたりと
民衆とのつながりを大切にした。

民衆からは厚い支持を得ていた。

だからこそ、戦いには民衆も協力し、
圧倒的な戦力の差を補っていた。

真田と上田の民衆の強い絆が
この劇的な勝利につながったのだ!!

 

上田にはこんな歌がある。

関八州の精鋭を
ここに挫し英雄の
我に至剛の誇りあり
いざ百難に試みん

 

今でも徳川の大軍勢を破った誇りは
上田の人々の心に受け継がれているのだ!
(某番組の受け売りwww)

ん~~・・・、
このエピックロマンが何ともタマラナイね

そんな歴史ロマンを感じながら

真田ファンは是非一度
上田城を訪れてみてはどうだろうか?

 

そういえば丹沢山アタックから走行距離の累計をとっていなかったな
まとめると・・・

 

今回の走行距離
丹沢山アタックのから
全て合わせて1317キロ
現在の走行距離
3290/10000キロ

そこそこ伸びてきたけど・・・
10000はいくかなぁ~~~。。。

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