人間はたった一人でどこまで耐えられる?


ネタバレ注意!

今年の春公開した映画パッセンジャー。
宣伝のうたい文句は「宇宙版タイタニック」
一体どこのバカがこんなうたい文句付けたんだよwww

タイタニックと聞いて見に来る客が増えると思ったのだろうか?
そもそもタイタニックと聞いてあ~!アレか!!って思うのはタブン30代以上。
1998年公開時に高校生だった俺も今や立派なオッサン世代。
果たしてどの年齢層に向けて「宇宙版タイタニック」なんて
クソくだらない宣伝ができるのだろうか?

そして一時期新宿の地下街でやっていたキャンペーンでは
吉本芸人が映画の乗客になり冬眠ポッドで眠っているというポスターを
大々的に張っていたのだが・・・。あれには何の意味があったんだろう?
吉本芸人たちは寝顔の顔芸で何とか笑いを取ろうとしていたのだが正直滑稽で失笑物の代物だ。
モチロン吉本芸人は全く悪くない。
この企画を考えたバカ者は一体全体何を狙ってこんな事を想いついたのか??
はなはだ呆れるばかりだ。

そんな感じで公開時の映画の宣伝に文句をつけつつ

本題はコレ↓
人間はたった一人で
どこまで耐えられるのだろう?

映画は不慮の事故で予定よりも90年も早く
冬眠から目覚めてしまった男の戸惑う姿から始まる。
男(ジム)は事故がおき、自分だけが早く目覚めたと分かると
船内で好き放題な生活を楽しむ。

好きに飲み食いし、ろくに着替えもせず、
髪やひげはほったらかしてボサボザ。
簡単に言えば食うに困らないニート状態。
話し相手はバーテンダーのAIロボットと食事を運ぶ執事ロボ。

そんな生活に絶望しジムは自暴自棄になり自殺未遂まがいの行動に出るが
結局死ぬこともできない、そこで、
ひとめぼれした女性(オーロラ)を眠りから起こすことになる。

要するに

寂しさと孤独に耐えかねて
他の人間を巻き込んでしまう。

結果的にこのことでほかのほぼ全ての乗客を救う事になるのだが・・・。

モチロン、ジムはオーロラを起す前にしばらく自問自答を繰り返し
ひとめぼれしたオーロラを忘れようとする。
葛藤とジレンマを重ねた挙句にジムはオーロラを起してしまう。

このサバイバルの条件は以下のようになる。

好きな時間に好きなことが出来る。(ただし船内の居住エリアのみ)
好きな時間に好きなだけ飲み食いできる。
娯楽施設は基本的に色々と使える。
話し相手はコチラの会話に合わせるだけのAIロボ。
他の乗客の日記なんかも一応見られる。

さてこの状態で人間はどこまで一人で生きられるんだろう?
プロのニートならば一生涯いける!というかもしれないが
それはどうだろうか?
プロのニートと言えどネットを通じて他人と接触している。
2ちゃんやSNS、ネトゲ、その他もろもろ、AIとは違う生の相手と
話、楽しみ、共感し、時には反発しあい、喧嘩もできる。
閉鎖されていたとしても誰かとコミュニケーションをとっているのだ。

この映画の主人公の場合それはない。
話し相手はコチラの都合にしか合わせないAIだけ。

人間らしいコミュニケーションが
全くできないのだ。

この状態で人間はどこまで?

実際に現実で面白い実験があった。
長時間の宇宙旅行に人間が耐えられるか?
を試すために、外界から完全隔離され完全な自給自足をする実験。
この実験では8か月どうやら”耐えられた”ようだが
これは複数人のチームの話だ。くわえて実験期間は8か月。

別の実験では、あるロシア人男性クルーが女性クルーにキスを強要するだとか
ちょっとしたイザコザが日常茶飯事になったんだそうだ。
大荒れに大荒れを起し結果的に実験は中止に・・・、
というドキュメントを見た。

もう一度シチュエーションを上げておくと
これら実際の実験よりもはるかに過酷と言える。
完全に外界から遮断。しゃべりかけられる人間は一人もいない。
おまけに木や土などの自然が一つもない。

映画キャストアウェイの様にボールに話しかけて精神を保つのは
この映画ではちょうどバーテンダーロボに話すシーンに似ていると思った。
が、自然が無い。
キャストアウェイでは生きるために自然と奮闘する場面がある。
ある意味では生き物らしいことはしている。
(キャストアウェイでも1年ちょっとかソコらで根を上げていた)

映画の中で重要なセリフが出て来る

「溺れている者は誰かにしがみつこうとする」
「ひどいことだが、彼は溺れていた」

結果的にオーロラはこの台詞から彼の事を少し察した様だ。

自分ならどれくらい耐えられる?

こればかりは実際にやってみないと分からないけれど
閉鎖空間で、特に他の生き物は存在せず
SNSやネットを見ても更新も反応もなく、もちろんゲームはCPU戦のみ。

他人を一切感じずに
一体どれだけ生きられるか?

と考えるとこの映画の設定は納得の数値かと思う。

孤独生活1年ちょっとという期間は
人間の限界なのかも。

だからこそジムは誰かを求めた。

ジムがローラを起したのは身勝手だと思うかもしれないが
ジムが生きるためにローラが必要で
しかも結果的には他の乗客を救うために必要な事だった。
そう考えると

どこか運命や奇跡を感じないだろうか?

この映画の安心感と感動はそこにあった。
オーロラとジム、この二人がいなかったら
この船はクソ宣伝が言った通り宇宙版タイタニックになっていた。

ジムは身勝手にオーロラを犠牲にしたのではない、
オーロラも巻き込まれたのではない、
この一連の流れは、ある種の運命だったんだ。

そう思うとこの映画、
単純ながら面白いと思わせる要素はちゃんと備えている。
と思ったのは、俺だけだろうか?

是非とも宣伝する人間は映画を何度も見て
その映画の本質が何なのか?伝えてほしい。
客はバカかもしれない、でも真実は見抜いている。

映画パッセンジャーの最後のセリフはこうだ。
「今の環境を嘆くことよりも」
「そこで最大限輝くことが大事だと」
「私たちは迷いもしたが」
「運命の相手と出会い」

「人生を築き上げた」
「素晴らしい人生を」
「一緒に」

この台詞から察するにオーロラは冬眠には戻らなかったように思える。
いや戻りたくなかったのかも。ジムとの生涯を全うしたのだろう・・・

最後はジム夫妻が過ごしただろう木が植えられた庭を見せて終わった。
なかなかの重厚なエンディングだった!

さて、
人間はたった一人でどこまで耐えられるのだろう?
この答えだが・・・

結論、
大好きな誰かがいれば
いつまでも耐えられる!

のかもね。

ジムも好きな人がいたから耐えたわけだしオーロラもしかり。

映画パッセンジャー。
機会があれば是非一度どうぞ!

Leave a comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください