最近睡眠時間がおかしので、こんなページを見せてもらった。
そこで、先のページにあった薬のリストを下っていくと・・・
半減期が最大で42時間という薬を発見した
なんスか!!この薬は!!
まさか42時間も眠れるの??
何だろう?この薬は。一応不眠改善の薬らしいのだが。こんなに長い理由はなんだろう。そのワケとは。。。人が長く眠っていなければいけない状況。人の意識があってはならない状況。もしかして・・・
持続時間が長い薬は手術用か??
という事でいつも通り、あさーく調べてみた
すると早速こんな記事が出てきた。
手術用麻酔と睡眠薬の違い
答えはこうだ、
麻酔と睡眠薬の違いに本質的な差はない。ほうほう、なるほどとなるとやっぱり持続時間が長い薬は手術用なのか?
と思案をしていたら。・・・・
あの手術の記憶が
またよみがえる
最悪だった小学校5年の時の腹膜炎の手術
当時、盲腸を風邪と誤診され、
1か月のあいだ、痛みと発熱で苦しみぬいた揚句
別の病院に駆け込んだところ
あぁ~~~こりゃダメだ
今日手術するよ、
今日の午後、いいね?
別の医者の即決によりその日に手術
これが人生でも
未だに強烈な記憶が残る経験となる
まず、手術用の局部麻酔を打たれて、下半身がしびれたのを思い出す。オケツ丸出しで看護婦さんに注射されるのと、小学生ではあるが流石に恥ずかしいものがある。よく覚えている。
そして手術開始。たしか午後の2時ちょっと過ぎ
局部麻酔だから記憶が鮮明だ。
ここで最低の画が目に飛び込んでくる。
手術用ライトの角度が悪く
自分からは鏡の様な状態になっていて
自分の腹にメスが入る瞬間を
生で見せられる羽目になる
あれには参った。
まず、消毒用のものすごく黄色い液体をポンポンしたあと、
なんのタメライもなくメスが腹の肉にはいる。
物凄く色の濃い血がジワーっと、だが止め処なく出る。すかさず助手かまたは看護婦がその血をガーゼで拭き取る。ここまでは、俺自身うわーーーー!!って気持ちだけで、頭は真っ白ただその光景に釘づけになるだけ。言葉も出ない。
問題はそのあと。
かんしで切った部分を無理矢理広げられた瞬間、微妙に痛い・・・・
次第にその痛みの解像度が上がって
激痛へと変わる
まぁ、局部麻酔と言えど、腹に10センチの大穴開けて
かんし3本突っ込まれたら、流石にな・・・・
あの時思ったのは、これなに??え???
痛いんだけど・・・って。
で、痛みに耐えかねて、看護婦さんに、
「いつ終わるの??いつ終わるの??」
と連呼
よく覚えている、確か時計は2時15分前を指していた
看護婦さんは、「大丈夫もうすぐ終わるからねぇ~~」
って優しい声をかけてくれるのだが・・・・
あまりの痛みで
固定された手足を動かし始める。
覚えているのは看護婦さんが突然、酸素吸入用??のマスクを俺のくちにあてる、ここで記憶がパッタリ消える。
どうも、想像するに、俺があまりに暴れたせいで全身麻酔に切り替えたんだろう。しかも最低な事に、ただの盲腸だと思われたものは、腹膜炎、簡単に言うと腹の中が腐る状態になっていたようで、後で聞いた話によると手術はかなり時間がかかったそうだ。
目が開けると、真っ先に、鼻に突っ込まれた酸素吸入用の管が邪魔でしょうがなかった。俺のお母さんが、ものすごく心配そうにしてた。
いつ終わったの?って聞くと
「手術はね3時間近くかかったんだよ」って母さんが言った
自分が何時に起きたのか、どれくらい寝ていたのかは定かではないが、タブン午後5時~9時の間に目覚めたんだろう。
当初医者は、盲腸の手術は30分で終わると言っていたが、文字通り、ふたを開けると盲腸は爆発、腹の中は膿でいっぱいになっていて医者もさぞ驚いたろう。
手術あけは、腹に12cmの割腹傷と
2本のチューブが腹の奥にブッささり
小学生5年の体にはかなりの大傷
自分にとっては、なにせ自分が切られる瞬間を目の当たりにしたのでそんな傷、別にどうでもよかった。
この後腹膜炎の治療で、
毎日、腹に深く入れられたチューブから膿を排出する処置が一か月ほどつづく。
あれはきつかった。。。ほんとにきつかった・・・
ただ、病床のおかげで実はゲーム好きになれたのかも??
フフフフw
腹膜炎の手術記録は医者にいく時に一応伝えている。その話題を話すと医者からは結構こういわれる。
腹膜炎は死ぬ病気ですからね
よく生きてましたね。
腹には未だに12センチと、二つの穴の傷が残っている。傷跡は感覚がないく、体を洗うときにたまにきになる。