完全なロボットは作れない


インド映画ロボット

 

人間そっくりに作られたロボットが
感情をもち、恋に破れて暴走するって話

そんな単純な話の中に

実はとても深い
問いがあることに気付いた

その問いとは

完全なロボットは作れない

というものだ

 

まず戦闘用に、
完璧に命令に従い、すべてを完璧に実行し
自らが壊れることも恐れないロボットを作ったとする

このロボットはすべての命令を完璧にこなすのだから

見方を殺せという命令ですら
ためらいなく実行してしまう

これでは、戦闘用としては欠陥があるため
ロボットに感情というものを入れ
見方を区別し、命令の内容を
自ら判断して実行するようにした

するとロボットは

相手が傷つくという事に心を痛め
殺せという命令を実行しない

そればかりか、自らが傷つき
壊れて死んでしまう事を恐れて
武器を持とうともしない

 

これでは完璧なロボットとは言えない

 

コレは深い問いだぞ

一見すると見方は殺さないという命令の追加が
問題を解決するかのように思えるが、

違う

見方や民間人に化けている敵がいるかもしれないし
裏切りや、ウソを見抜けない

そもそも感情のないロボットは
命令や敵味方、物事の判断を
定義やパターンから導いているのであって

感じたり、考えたりしているわけでは無いのだから
名誉や羞恥心も分からない

だから完璧とは言えず

逆に感情を持ったロボットは
敵味方やウソや裏切りが分かっても
自らのアイデンティティーが邪魔をして
完全に命令を実行できなくなる

つまり完璧なロボットは作れない

二律背反が現れるわけだ

さらにこの問いは

感情とはなにか?
人間とは何か?

なんて問題にも発展できそうだ

たとえば、
姿かたち、感情や、性機能に至るまで
完璧に模倣したロボットは人間か?
だったり

逆に感情のない人間は
ロボットと同じなのか?
だったりと

まるで、テセウスの船や

万上記に出てくる問い

と同じパラドックスを感じる

 

色々考えたが、
答えの一つの手がかりとして

完璧をあきらめれば
より完璧に近づける

というのはどうだろうか?

こうすれば、感情の有無にかかわらず
どちらのロボットも完璧になる可能性が出てくる

イプシロンデルタに近いかも

 

 

映画の最後でロボットがこんなことを言っている

私は心を持っていなくて幸せだ
なぜなら、心には裏切りやウソがある
心があるから人は傷つけ合うんだ

そして、壊されたロボットは

私が壊された理由は
「心を持ったからサ」

と皮肉を言う

インド映画は意外と奥が深い?

 

そういえば、

人間は神を模倣して
作ったって話があるが

つまり、神の作ったロボットが人間?

だから人間は不完全なのか??

もしかしたら、神が人間を作った時にも
同じ問題があって、その解決方法として

人間を男と女に分け、愛という心を持たせたんだろうな
そうすることで、より完璧に近づけたんだろう

もしかしたら、心を持ったから
人間も神に殺されるのかもしれないぞ

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