実は映画をリピートするってあんまりやらないんですけど
ジョーカーは2回目観に行っちゃいました!
そしたら、
2回目がすごく楽しかった!
既にファンたちの考察や感想が色々と上がっていて、
それらを知ったうえで観ると、1回目とは違った観方が出来て
それがすごい良かったのです!
この先ネタバレ注意!
ファンたちの質問や考察に対して、監督たちは答えを明言していない。
なのでファンたちの考察合戦が面白い。
実は全部アーサーの妄想だった説。
このジョーカーはバットマンと対峙するジョーカーではない説。
本当はバットマンの異母兄弟説
隣人ソフィー実在しない説。
などなど、どれも辻褄があっていて面白い。
ちょっと自分も妄想交じりの考察を。
アーサーの笑いには何種類かあって、
病気からくる呼吸すらできなくなる発作的な笑い。
周りの人にあわせた乾いた笑い。
その中で本当に心から笑ったのはたったの一度だけ。
という考察というか、解説が出ている。
その場面はラストの場面。
「ジョークを思いついたが、あんたには分からないさ」
と、ニヤーと笑うあの場面だけは純粋な笑い。
なるほど!確かに!
時計の時刻の謎。
時たま出てくる時計の時刻が決まって11時11分。
(ツイートでは10分って言っちゃったけどw)
これネットで調べたら色々出てくるのよ。
11:11 意味で検索!
どんな意味かは、いくつかあって。
宇宙からの目覚めのサイン。
つまりジョーカーとして目覚めるという意味、
エレミヤ書、11章11節という意味。
「見よ、わたしは災を彼らの上に下す。
彼らはそれを免れることはできない。
彼らがわたしを呼んでも、わたしは聞かない。」
ジョーカーが車の上で立ち上がるのが
11時11分という予言だった。
などなど。どれも筋が通っている。
映画の後半になって気づいたのが音響。
盛り上がる場面でのBGMに変化があって
思わず首を振って音の位置を確認。
音にも仕掛けがあったのかも??
画的な作りなんだけれど、
アキラのオマージュありません?
街の空撮とか、タイトルの出し方とか。
デモ隊の暴動とか。
個人的にアキラっぽさをすごく感じるんだよね~~。
隣人ソフィーとの付き合いは全部アーサーの妄想だった。
というのは普通に観ていれば分かるんだけれど、
色々と解説や考察を探っていくと、実はアレもコレも妄想だったのでは?
というポイントがいくつか上がっていた。
例えば、実はアーサーの見た母親の診断書。
あれ妄想だったんじゃ?って説もある。
根拠はトーマス・ウェインと母親との関係。
実は設定では肉体関係はあったという。
劇中でも母親の若いころの写真に、きれいだよT・W(トーマス・ウェインのイニシャル)
と書かれている。
ということは、やっぱり母親は本当のことを言っていたのでは?
となって、診断書の内容はアーサーが都合よく妄想してしまったのでは?と。
レンタルが開始されたら
各カットの比較の考察を作ろうかなと思うのだけど、
先に一か所だけ。
この前半に出てきたカット。
目が死んだ魚のようで、絶望的な印象。
これとほぼ同じレイアウトのカットが終盤出てくるのだけど、
ジョーカーの目がキラキラと輝き、生き生きとしている。
こういった前後半のカットの対比が至る所にあって超面白いですよ!
いやー、最高だねーー。
観た人なら分かるだろう、
司会者マレーの公開処刑場面。
アーサーの怒りが限界を超え遂に爆発する映画のハイライトシーン。
普通に考えればテレビで司会者が撃ち殺されるという異常な場面なのに、
あの場面の心地よさの不思議さ。
映画の冒頭からアーサーは悉く運に恵まれない。
証券マンに絡まれ、暴力を振るわれると子供のころのトラウマで無抵抗になるアーサーが
自己防衛のために銃をつかう、使わざる得ない状況になる。
その場面を観客はずっと見守り続けてきたので、
いつの間にかアーサー側の味方に。
だからこそ最後のシーンが物凄く心地がいいだと。
と、まぁ、語り始めたら止まらない。
ジョーカーという映画は、
こうやって考察したり、語ったりすることで
面白さを再発見する事に不思議な魅力があるのかもなぁ~。